2007/8/3 金曜日

生きてる証明

カテゴリー: 日記 — 鈴 もとえ @ 1:30:49

毎日 同じ時間に家を出て 同じ時間から仕事が始まって。
同じ時間に仕事が終わって 家に帰って 製作をして。
毎日が 同じように見えるけど 毎日は 少しずつ違っている。
今日は 1本前の電車に乗れたから いつもと違う人が電車にいるし。
会社までの道の途中にある家のベランダから 猫が顔を出してたし。
夕方の空が すんごくきれいで 夏の夜の雲が なんかやわらかくて
いいなって 気づいたし。
金魚を作っていて 意外とムズカシイって気づいたし。
1日でも 気づこうと思えは 気づける事は いっぱいある。
楽しもうと思えば 楽しめる。

だけど なんだろ?
何故だか たまに 生きてるのかわからなくなる時がある。
あーれー?私、退屈してるんですかぁ?

とりあえず そばで寝ている猫の呼吸にあわせて 呼吸をしてみる。
・・・案外 早いのね。
こっちが だんだん苦しくなる。
生きてるテンポが こんなに違うのねぇ・・・。
そんなふうにも思ってみる。

夜中だから こんなことも思い出す。
以前 バイト先にいた リストカットをしてしまう女の子が
『退屈で・・・だから 活きてるのかわからなくなって・・・
 自分の血が流れているのを見ると 生きてるって実感できて
 安心するんだ』
そんなことを言っていた。

退屈だから・・・・・・・!?
はっ☆ ぶるぶるぶるっ☆
いかん。最近 毎日 なんとなく生きてるもんだから
これは 感受性が衰えてるのだ。

茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』という詩の一文を
思い返す。
そうだ。 
自分にも 水やりしなきゃ。
でも・・・とりあえず・・・・
目の前で 寝ている猫の肉球に 自分の鼻をペタッ♪
・・・・ホコリっぽ~い・・・でも 何故か クセになるニ・オ・イ♪
えへへへへ。
さぁて 明日から 何しよっかなぁ~♪

*************************
 
自分の感受性くらい・・・・・・・・・・作:茨木のり子

  ぱさぱさに乾いてゆく心を
  人のせいにするな。
  みずから水やりを怠っておいて

  気難しくなってきたのを 
  友人のせいにするな
  しなやかさを失ったのは どちらなのか
  
  苛立つのを
  近親のせいにするな
  そもそもが ひよわな志にすぎなかった

  駄目なことの一切を 
  時代のせいにするな
  わずかに光る 尊厳の放棄

  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ

HTML convert time: 0.138 sec. Powered by WordPress ME